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ユリウス暦運用初期の混乱に関するメモ

グレゴリオ暦開始時の混乱に関する記述は時々見かけるのですが、ユリウス暦開始時の数十年に及ぶ混乱に関する記述はあまり見かけません。

せっかくなので色々集めた情報をまとめてみました。

※追記 : 「歴」と「暦」の字を混用していた箇所を直しました。(2015-09-12)

=== 予備知識:暦制度あれこれ

☆ ローマ暦

ユリウス暦の直前まで古代ローマで使われていた暦。
政治や宗教の都合でその都度恣意的に1年の始まりや長さが決められていた。
少なくとも北半球に訪れた夏至の回数はきちんと数えていたものと思われる。

☆ ローマ建国紀元

古代ローマで使われていた紀年法。略称はA.U.C.
ユリウス暦運用初期や西暦0年をまたぐ期間の古代ローマ領土でのあれこれを外側から語るのに都合の良い紀年法。

AUC 1 BC 753 西暦 -752
AUC 709 BC 45 西暦 -44
AUC 753 BC 1 西暦 0
AUC 754 AD 1 西暦 1

☆ 西暦

かつてイエスの誕生年と信じられていたAUC 753の翌年をAD 1として年の数を数える紀年法。
西暦が西欧社会に根付くようになったのは千年以上も後の中世以降のこと。
閏年を西暦で表すと4の倍数になるのは便利だが、これはおそらく偶然。

☆ 先発ユリウス暦

ユリウス暦が永遠の過去からずっと安定して使われていたと仮定して年を数え、閏年と元日を識別する方法。ユリウス暦安定期として通説とされるAD 8年前後を原点として年を遡るのが一般的。

=== 予備知識:人物

☆ ガイウス・ユリウス・カエサル

生没 AUC 654 – AUC 710 (BC 100 – BC 44)
共和制ローマ最後の独裁官。
英語読みはジュリアス・シーザー。

☆ アウグストゥス

生没 AUC 691 – AUC 767 (BC 63 – AD 14)
AUC 727(BC 27)から死ぬまでローマ帝国を治めていた初代ローマ皇帝。
皇帝になる前はオクタウィアヌスと名乗っていた。

☆ レピドゥス

カエサル亡き後の古代ローマを巡ってアウグストゥスと対立した政治上のライバル。

☆ ナザレのイエス

アウグストゥス皇帝在位中に地中海東岸で生まれたとされる宗教家。
宗教活動を通じて頭角を現すのは、ユリウス暦の運用が安定してからずっと後のこと。
AUC 753年が生誕年と信じられ西暦の根拠とされてきたが、実際はもう数年前の生まれなのではとの説が現在では有力。

=== ユリウス暦開始にまつわる長く信じられていたストーリー

5世紀の文献学者 マクロビウス(Macrobius) の記した「Saturnalia」などを基に、16世紀の人文主義者 スカリゲル(Joseph Justus Scaliger) が記したユリウス暦開始時のストーリー。

  • BC63(AUC691)年、カエサルが神官(最高神祇官)に選出され、暦の運用を取り仕切る立場になる。
    当時の古代ローマの暦はローマ暦。
  • BC46(AUC708)年 カエサルが独裁官になる。
    ユリウス暦の準備のため、ローマ暦最後の年となるAUC708年を445日間も続ける。
  • BC45(AUC709)年 冬至に近いとある日、カエサルが「今日は元日である」と宣言すると同時にユリウス暦開始。
    カエサルは最初の閏年にBC41(AUC713)を指定し、以降4年ごとの閏年を計画。
  • BC44(AUC710) カエサル暗殺。
    カエサルの死によって空席となった神官職はレピドゥスが引き継ぐことになる。
  • BC42(AUC712) なぜかユリウス暦開始3年後に神官によって閏年が執り行われる。
    以降3年ごとに閏年が行われる。
  • 3度目の閏年のBC36(AUC718)年、レピドゥスが失脚するも神官職はそのまま。
    閏年に関してはレピドゥスの運用を踏襲。
  • 6度目の閏年のBC27(AUC727)年、カエサル亡き後の権力闘争に勝ち抜いたオクタウィアヌスがローマ皇帝アウグストゥスになる。
    依然としてレピドゥス時代の閏年運用を踏襲。
  • BC42(AUC712)以降、BC9(AUC745)年まで3年ごとに閏年が発生し、その回数は12回。カエサルの計画ではBC41(AUC713)年からBC9(AUC745)年までの間に4年ごとの閏年が9回行われるはずだった。
    BC13(AUC741)に死去したレピドゥスから神官職を引き継いでいたアウグストゥスがようやく事態の収拾に乗り出す。
  • BC9(AUC745)年3月の時点で3日進んでいるので、これを消化するためBC5(AUC749)、BC1(AUC753)、AD4(AUC757)年の閏年の処理を行わないこととした。
  • AD4(AUC757)年3月の時点で、カエサルが当初意図していた暦に戻ったはず。
  • AD8(AUC761)年2月に16年ぶりに閏年が行われ、以降1000年以上に渡って閏年は規則正しく4年ごとに運用される。

カエサルの意図した計画からのずれがアウグストゥスの政策により 解消されたにもかかわらず、カエサルがBC45(AUC709)年元日と定めた日は先発ユリウス暦のBC45(AUC709)年1月2日である。(カエサルはAUC709年を閏年としなかったが先発ユリウス暦では閏年のため)

=== スカリゲル説への感想

暦担当のレピドゥスが悪いと言えば悪いのですが。アウグストゥスがもたもたしていたのはレピドゥスへの義理だったりするのでしょうか。かといって失脚後地方に飛ばされた名ばかり神官職のレピドゥスに事態を解決できるわけもなく。

カエサルにも混乱の責任があるのでは。BC45(AUC709)を閏年にしたくないなら、せめてBC42(AUC712)以前に最初の閏年を持ってこないと…。だけどカエサルの死後になってBC42(AUC712)を閏年にしたら「閏年は3年毎になったんだ」と周りに誤解されるのも想像できるんです。うーむ。

=== スカリゲル説への反論・争点

  • BC45(AUC709)が閏年でないのは本当なのか?
  • 3年ごとの閏年が始まったのがBC42(AUC712)なのは本当なのか?
  • 3年ごとの閏年が12回行われた回数は正しいのか?
  • キャンセルされた閏年は4年毎でなく3年毎だったのでは?
  • 閏年が再開されたのはAD8年よりも前ではないのか?
  • アウグストゥスは結局カエサルの理想に回帰できたのか?

と、ヨハネス・ケプラーらも巻き込んで昔からいろいろな反論が繰り返されてきました。

クレオパトラ7世が倒された後のエジプトではローマ帝国と同じ閏年を運用していたはずなのですが、近年になってBC26(AUC728)年のエジプトが閏年だった有力な証拠となるパピルスが発掘されたりして、面白いことになっています。(※ スカリゲル説ではBC27(AUC727)が閏年のはず)

=== その他リンク集

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